地球温暖化問題の推移
地球温暖化問題のきっかけは1985 年にフィラハ(オーストリア) で開催された国連環境計画(UNEP)の主催の国際会議がきっかけである。 この会議は地 球温暖化に関する初めての世界的会議 であり、その後 、1988年には、カナダでのトロント会議が開催され、「2005年までにCO2排出量を1988年レベルから20%削減、長期目標としては50%削減」という具体的な数値目標を示した声明が採択された。
同年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立 された。 IPCC は、1990年8月に「2100年には地球の平均気温が約3℃上昇する。大気中の濃度を現在のレベルに保つには直ちに CO2の排出を60%以上削減しなければならない。」という内容の第1次評価報告書を発表した。 この報告書は、地球の温暖化に科学的根拠を与えるとともに、地球規模で大きな影響を与え、同年12月に開催された国連総会で、気候変動枠組条約交渉会議の設置が決議された。 そして、1992年6月の地球サミ ットまでに条約に合意することを目指した条約交渉が始まった。
出典)温室効果ガスインベントリオフィス 全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト(http://www.jccca.org/)より
気候変動枠組条約・・・
気候変動枠組条約交渉会議の交渉を経て、1992 年5月 に、地球温暖化についての国 際的な取組を決めた初めての 条約である「 気候変動 に関する国際連合枠組条約が採択された。 この条約は、同年6月の地球サミットで 署名が開始され、1994年3月に発効した条約は、「気候系に対して危 険な人為的干渉を及ぼすこととならない 水準にお いて、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させること」を究極の目 的としており、また、「共通だが差 異のある責任」に基づき、先進国、途上国がそれぞれレベルの異なる温暖化対策を講じることとし、先進国については、温室効果ガスの排出量を 1990年代の終わりまでに、1990年レベルに戻すという努力目標を定めている。 しかし、削減義務のない努力目標に止まっていたこともあり、法的拘束力のある、数値化された約束をもつ議定書の策定が、採択当初から大きな検討課題とされていた。
京都議定書・・・
気候変動枠組条約の発効を受け、1995年に第1回 の締約国会議(COP1)が開催された。 同会議では、温室効果ガス削減の数値目標と目標年度 、2000年以降の行動、途上国への資金援助のメカニズムなどが議論され、 数値目標を設定した議定書を策定するための交渉を開始するという決議がなされた(ベルリン・マン デート)。 その後2年間の交渉を経て、1997年12月に京都で開催された COP3において、「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書(京都議定書 12 )」が採択された。
これにより、温室効果ガスを多く排出してきた先進国全体に対し、数値目標をもってその削減が義務付けられることとなった。 京都議定書は、2008 年から 2012年までの期間において、先進国全体で基準年(1990 年、ただし代替フロン等3ガスについては 1995 年も可)の排出量から少な くとも5%の削減を求めており、主要各国の主な数値目標は、日本が6%、米国が 7%、EU が8%の削減となっている。
また、国際的に協調して目標を達 成するための共同実施(JI)、クリーン開発メカニズム(CDM)、国際排出量取引と いう、いわゆる「京都メカニズム13 」や、森林等の吸収源についての規定も盛り込ま れた。
京都議定書の発効・・・
2001 年3月、世界最大の温室効果ガス排出国である米国のブッシュ大統領が、 ①大量に温室効果ガスを排出する中国やインドをはじめとする開発途上国には削 減義務がないこと、②米国経済に悪影響があること等を理由として、京都議定書 からの離脱を表明した。また、豪州も京都議定書の締結を見送った。
このことから、京都議定書の発効そのものが危ぶまれる状況となったが、 2001 年 10 月から 11 月にかけてモロッコのマラケシュで開催さ れた COP7において、京都メカニズムの内容や森林等の吸収源の範囲とその利用 法など京都議定書の実施に係るルールの詳細が決定された(マラケシュ合意)。こ の合意を受け、各国は、議定書締結に必要な国内制度の構築等について本格的 な取組を開始し、2002 年5月には EU 加盟各国が、同年6月には我が国が京都議 定書を締結した。
その後
2004 年 11 月にロシ アが批 准 したことにより、発 効 の要件を満たしたことから、京 都議定書は、2005 年2月 16 日に、COP3での採択から7年 余りの歳月を経てようやく発効 した。
なお、政権交代が行われた 豪州は、2007 年 12 月に開催 された COP13 の場において、 京都議定書を締結する旨を宣 言し、同月 12 日に批准してい る(同国については 2008 年 3 月 11 日に発効)。これにより、先進国(附属書Ⅰ国)のうち、京都議定書を批准し ていない大量排出国は米国だけとなっている。現在の批准国は、177 ヵ国・地域と なっている。
ポスト京都議定書としてのパリ協定
パリ協定とは
地球温暖化防止を目指して、温室効果ガスの排出についての2020年以降の各国の取り組みを決めた国際的なルールであります。 化石燃料を使わないことを目指し、2015年12月に国連の会議「COP21」で190カ国以上が合意し採択されました。その後、2016年11月4日に発効され、法的な効力を持つようになりました。 現在、147カ国・地域が締結しています。(アメリカはトランプ政権になり、本協定から脱退の意向を表明したが、協定発効から3年後より可能 という決まりがあります。 パリ協定は2016年の11月に発効したので、 2019年11月から離脱可能 ということになります。)
また、2005年に発効された京都議定書では「先進国の責任」を重視し、先進国のみが削減義務を負い、途上国に対して排出削減を義務付けていませんでした。 しかし、世界一の排出量(2010年時点)は中国で22.2%、インドが5.8%で世界四位、この2カ国だけでも28%を占め、アメリカ(13.8%)・EU(10.2%)・日本(2.8%)の合計(26.8%)さえも上回っている水準であります。 2016年発効のパリ協定では中国、インドが批准するなど、途上国を含めた多くの国が参加することになり、この点に大きな意義がありました。
パリ協定二大目標
産業革命前からの地球の気温上昇を2℃より十分低く保つ。1.5℃以下に抑える努力をすること
21世紀の後半に世界の温室効果ガス排出を実質ゼロにすること
この目標達成のために、各国に対しては「自主的な削減目標を国連に出すこと」と「達成のため、削減に向けた国内の対策を取ること」を義務づけています。 日本の目標は、2030年度の温室効果ガスの排出を2013年度の水準から26%削減することとなっています。 しかし、各国の排出削減目標についての罰則などは定めず「それぞれの国情と能力にあわせて」という努力義務とされました。この規定により、実質的な効力を疑問視する声もあります。 また、途上国も含めて排出削減を進めるために、余裕のある国が途上国に対して、資金・技術を支援することも盛り込まれています。
出所) IPCC第5次評価報告書より 出典)温室効果ガスインベントリオフィス 全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト(http://www.jccca.org/)より
温暖化問題とエアコンの冷媒フロンとの関係
特定フロンの代替として利用される「代替フロン」は、オゾン層破壊効果はないものの、 高い温室効果を有するため、地球温暖化に影響を与えます。(CO2の数千倍の温室効果)
【参考】
特定フロントとは1985年(昭和60年)3月,オゾン層の保護に関するウィーン条約が採択され,同条約に対する「モントリオール議定書」が1987年9月に採択され,1989年1月に発効しました。この議定書ではフロン11,フロン12,フロン113,フロン114,フロン115の5種類が規制の対象となり,1998年までに1986年の消費量の50%に削減することが決まり,後に1989年5月に「ヘルシンキ宣言」で2000年までに全廃することが採択されました。この5種類のフロンを特定フロンと呼んでいます。
【参考】
代替フロンとはHFC(ハイドロフルオロカーボン)のことを一般に「代替フロン」といいます。HFCは塩素を持たないためオゾン層を破壊しません。しかし、代替フロンは二酸化炭素の数百倍~数万倍の温室効果があり、地球温暖化の原因になるとして問題となっています